アサヒビールの120年

元アサヒビール株式会社 120年史編纂委員会委員長 名倉(なぐら)伸郎さんの体験談をうかがいました。

社史制作の目的とかかった時間は…

当社は1989年に創業100周年を迎え、翌年、記念誌『Asahi 100』を刊行しました。アサヒスーパードライ発売が1987年で、シェアも売上も急激に上がった時期です。その後の20年は会社そのものが大きく変わりましたので、これをしっかり記録に残さなければならないと考えました。また、この20年に入社した社員が全体の75%となり、会社の歴史を知る機会がほとんどないという実態がありました。こういったことから、120年という区切りで社史を作ろうということになりました。

2007年6月に社史の制作が正式決定し、2008年1月から本格スタートしました。2010年11月1日の創立記念日に社員全員に配布しましたから、約3年が制作期間です。調査期間が短く、次回は4年くらい欲しいと思いました。

会社概要をお聞かせください…

アサヒビール株式会社は2011年7月1日に商号変更を行い、純粋持株会社のアサヒグループホールディングス株式会社になりました。事業会社として新しく設立したのが、現在のアサヒビール株式会社です。2010年の連結売上高は約1兆5,000億円で、そのうち約6割が酒類事業です。その他、飲料事業、食品事業などをグループ各社が展開しております。

会社の沿革は…

1889年11月に大阪市で創立された大阪麦酒を起源としています。その後、大阪麦酒・日本麦酒・札幌麦酒の3社が合同して大日本麦酒ができました。戦後、1949年に大日本麦酒はほぼ均等に分割され、朝日麦酒と日本麦酒の2社が誕生します。朝日麦酒は1989年、カタカナ社名のアサヒビールに変わり、2011年にアサヒビールホールディングスとなりました。

アサヒビールという会社そのものは1949年がスタートですが、1889年に創立された大阪麦酒が初めて「アサヒビール」という商品を世に出しています。ですから、当社は「アサヒビール」というブランドのスタートを起源と考えているわけです。

こうした変遷をたどるなか、大阪麦酒は10周年の沿革という形で会社史をまとめています。大日本麦酒になってからは30年史が作られました。100年史『Asahi 100』ではじめて、大阪麦酒の始まりから通した歴史つまり通年史が、社史としてまとめられました。ただ、このときは社外に配る記念誌という性格が強く、編年体ではありませんでした。歴史をずっとたどった形では、今回の120年史が最初です。

社史の仕様・構成は…

親しみやすく、手元に取ったときに見やすいものにしたいと考えました。A4判303ページ、表紙にカラー写真を使用した並製本です。本文はオールカラー、横書きで写真を多数掲載しています。

表紙写真は120年目の「今」を表現したイメージで、本社ビルの壁面に、隣接するスーパードライホール屋上のオブジェが写りこんでいます。金色のオブジェは、アサヒビールの燃える心の炎を表しており、「我々の心に秘められた炎」を表現したいという思いを込めました。

口絵には見開きで、本社周辺を空撮した写真を入れています。手前に隅田川、左奥には建設中の東京スカイツリーが見えます。創業120年目とはどういう年だったのか、ということを表現できるし、会社の周辺全体がわかるようにしました。

本文は「第1部 創業から90年」「第2部 最近の30年」の2部に大きく分けました。第1部は歴史を概観できるように、<第1章 大阪麦酒と「アサヒビール」の誕生><第2章 大日本麦酒の時代><第3章 朝日麦酒の誕生と苦闘>。第2部は、アサヒスーパードライの発売前10年間を含めた30年間を記述しました。会社が伸びていく過程をしっかり伝えたいというのが、第2部の趣旨です。なお、第1部は3段組、第2部は2段組、と見た目にも変化をもたせました。

編纂体制と経過について…

本店の部長クラス12人から成る「編纂委員会」が社史刊行の方針を決定したり、重要事項を審議しました。次に、編纂委員に各1人ずつ付く形で中堅社員から成る「編纂推進部会」を結成して、資料の収集などで活躍してもらいました。彼らは多忙な通常業務をこなしながら時間を割かなくてはならず、最初は不満も出たのですが、次第に歴史を知る重要性に気づくことになりました。

編纂実務は、日ごろから会社の歴史に関わる重要資料の保管・整理にあたっている資料室のメンバーとは別に、新たに専任5人を選抜し「編纂委員会事務局」として担当しました。また、グループ会社の歴史は、それぞれの社長や管理部門責任者に「委員」になっていただいて情報収集をお願いしています。

社史制作の経過ですが、正式決定前の2007年2月にまず資料室が、社史とはどのように作っていくのか勉強を始めました。6月に経営陣の了承を受けて正式決定、8月には本店の部長会議で社史を出す意義などを十分理解してもらいました。資料室の事務局員も順次増員していき、社史の専任を置きました。そして、翌年1月に「編纂委員会」のメンバーである編纂委員の人事を発令。これを制作の本格スタートとしております。

その後は委員会、事務局会議を開催しつつ編纂作業を進めていきました。資料として入れるデータは、120周年にあたる2009年までのものをまとめ、それを翌年刊行するというスケジュールも立てました。そして2010年11月の刊行と同時に編纂委員の任務を解く人事発令をもって、社史制作は終了しました。

具体的な作業内容とポイントは…

編集方針として、120年間全体を概観できるしっかりしたものを作りたいというのが、まずありました。100年史『Asahi100』をベースにすることにしましたが、編年体で書かれたものではなかったため、これに加える情報をどう取り込んでいくかで、非常に苦労することになりました。

それから、経営の舵をどのように取ってきたかを客観的に明らかにしたいと考え、事実を裏付ける資料を掲載しました。この30年間に関してはトップインタビューを行い、当事者の生の思いというものも記録に残すことにしました。

社史編纂過程で、経営サイドとのコミュニケートは大切です。我々は半期ごとに第5次まで、編纂状況の報告を行い、その都度、経営陣の意見を聴取しながら進めました。編纂内容に異議が出た場合、ある程度できあがってからでは取り返しがつきません。

実作業としては、編纂事務局に編纂委員会の委員長と副委員長を加えた7人が、具体的なプランを作成して委員会に提示する、という「事務局提案型」を取りました。これは非常に良かったと思います。短期間で社史をまとめるには、どこかがリードしなくてはならないからです。

また、社内に「社史の発刊を心待ちにする空気を醸成する」ということに力を入れました。会議や研修で私が話をしたり、記念講演会で現役・OBに当時の熱い雰囲気を語ってもらったりしたのです。100年史『Asahi100』は、スキャンして社内イントラネットに載せました。ふだんは資料室で眠っている物史料を、本社ロビーに展示したりもしました。

それから、資料室にはないものを集めるため、OBに「当時の写真や思い出話を寄せてください」とお願いしました。同時に新しい社史の配布希望者を募ったところ、6割近くの方から「ぜひ欲しい」という声をいただきました。こうして、社員やOBの関心を高めていけました。

発刊後は、社内イントラネットに「アサヒ・アーカイブズ」を立ち上げました。紙媒体で資料編を作る代わりに、いろいろなデータ類を全部こちらにアップしているのが、大きな特徴でしょう。経年資料は、毎年更新されています。また、ここにアップしたネット版120年史「アサヒビール120年」は、日常業務で活用してもらうために検索機能やリンク機能を充実させました。

編纂を終えての感想は…

外部ライターに執筆をお願いしたことで、内容に客観性をもたせられたのが良かったと思います。我々は社史を作るプロではないので、凸版印刷さんのようなサポート会社の役割も大きなウエイトを占めていました。

これから先は、要約版や外国語版を作ったり、歴史教育を取り入れるなどを意識しておかなくてはならないと考えています。また、資料室はふだんから資料をきっちり揃えておくというのが大切だと思っております。