日本の海運・港湾事業の拠点として、1922年に神戸港にほど近い海岸通に竣工した神戸商船三井ビル。当時最先端の建築技術を取り入れ、精巧なレリーフや船舶をモチーフとした装飾が随所にあしらわれた重厚な建物は、海運業と神戸の歴史を見守りつづけてきました。その神戸商船三井ビル100周年を記念して発刊されたのが、記念誌『青い海と100年』です。今回は建造物に刻まれた深い歴史を、ふんだんなビジュアルとともに“魅せて伝える”記念誌にまとめ上げたディレクター、垂水裕子の「クリエイティブストーリー」をご紹介します。

“残るもの”をつくりたくて、
歴史書編集の世界へ

 「歴史が現在を形づくっているので、何かを理解して新たなものを生み出すには、まず歴史を知る必要があります。歴史書も社史も同じで、迷ったときに立ち返る拠り所のような、“残るもの”をつくりたいという想いがありました」

 そう語る垂水は、学生時代にドイツ現代史を専攻し、前職では歴史専門書系出版社で日本史や文化史等の編集に携わってきたという歴史編集のエキスパート。2007年より、トッパン年史センターのディレクターとして活躍しています。

 そんな垂水の元に神戸商船三井ビル竣工100周年記念誌の依頼が来たのは、100周年を迎える前年、2021年9月のこと。実は年史センターでは、同社が5年おきに実施している歴代役員への聞き取り取材プロジェクトの原稿整理を担当しており、その縁あっての依頼でした。垂水の頭のなかにも同社に関する知識や情報が蓄積されており、話を聞いてすぐに台割と仕上がりのイメージが浮かんだといいます。

 「ディレクターによってやり方はいろいろありますが、後から多少修正が入るとしても、まずできるだけ具体的なかたちに起こして見ていただき、イメージを共有することが重要だと思っています」(垂水)

 そこでクライアントとの初回打合せの場に、構成案と仕上がりイメージに近い事例を持参した垂水。先手を打った提案に、クライアントも「もうできていますね!」と好反応でした。社史の制作の場合、通常複数年度にわたる長い期間を要しますが、今回の制作期間はわずか半年。スピード勝負のプロジェクトであった今回、初期段階でクライアントとイメージを共有できたことはその後のスムーズな進行の大きなカギとなりました。

手にした瞬間、書籍としての堂々とした存在感が伝わる『青い海と100年』。前半は写真を中心とした“魅せる”パート、後半は関係者のインタビューと年史で建物の歴史と魅力を“語る”パートで構成されている。完成した記念誌は、街の歴史資料として神戸市にも寄贈された。手に取りやすいようにサイズ感にもこだわって、天地を短くしたA4変形サイズに。中ページに掲載する横位置写真のワイド感も活かされている。

遠隔ディレクションの壁を超
え、ビジュアル中心の年史を目
指す

 本作品は、神戸ビルを通して見た商船三井の歴史を付しながらも、ビルの成り立ちや意匠、竣工当時と現在の様子をビジュアル中心で伝える写真集仕立ての記念誌です。普段は1000ページ近い文章中心の社史を手がけることの多い垂水にとって、ビジュアルをメインとした記念誌は新しい挑戦でもありました。クライアント担当者にも「美術書のようなセンスの良いものにしたい」という強い想いがあり、表紙には空押しした枠に写真を貼る「題箋貼り」という加工が施されています。

 「題箋貼りの表紙は、クライアントからのアイデアです。年史センターでは前例がない装丁でしたが、社内の部署が協力的に動いてくれたおかげで無事に先方のイメージ通りに実現できました。白のクロス貼りで写真も映えますし、コストは上がっても挑戦して良かったと思います」と垂水。完成後にはクライアントも「皆にリビングに飾ってもらいたい」と大満足でした。

表紙のクロスに枠を空押しし、そこに手作業で写真を貼り付ける「題箋貼り」。戦争や震災など数々の荒波を乗り越え、現在も竣工当時と変わらない姿を保つ神戸ビルの写真が上品に佇んでいる。

 デザイン面はこうしてスムーズに進みましたが、肝心の中身の編集には一つ大きなネックがありました。それは制作期間の短さに加えてコロナ禍というタイミングもあり、神戸へ出張しづらい状況だったことです。そこで垂水は年史センターの関西支部と連携することに。質問書の作成や撮影ポイントの選定を垂水が行い、実際の取材と撮影は関西年史センターが実施するという体制を組みました。実物を見ながらの撮影ディレクションはできませんでしたが、予備カットを多めに撮ってもらうなどの対策を取り、大きなトラブルもなく制作は進行。普段の業務では協業する機会のない関西年史センターと連携できたことで、社内の実績としても収穫がありました。

 ちなみに写真に関して注目したいのが、記念誌のなかに登場する戦前の絵葉書です。「古くからの観光名所の絵葉書は歴史資料として定番なんですよ」と垂水。文献の読み込みや取材が中心となる社史の編集作業のなかで、こうした資料探しはちょっとした楽しみでもあるそうです。

歴史あるビルの雰囲気を伝えるため、全体的に柔らかい色合いになるようプリンティングディレクターに調整を依頼。特に新規で撮影した写真は撮影時、晴天に恵まれたことから空の色が鮮やかすぎたため、今回の記念誌の世界観に沿うように丁寧に色を調整している。「色校正やデザインは、それぞれのプロにほぼおまかせです」という垂水だが、自身のなかに明確な仕上がりイメージがある分、具体的な指示が出せる。それは彼女のディレクターとしての強みでもある。

垂水自身が神戸ビルを望む風景を写した絵葉書を探し、ピックアップして使用。当時の街の雰囲気が時代を超えて伝わってくる。

どんな手間も惜しまないのは、
将来この社史を読む誰かのため

 これまで手がけてきた社史は数十冊にのぼるという垂水。この先も何か挑戦したいことはあるかと尋ねると、こんな答えが返ってきました。

 「社史の仕事は一つひとつが出会いで、どれも発行主体となるクライアントあってのこと。お客さまが考えていることを理解し、形にすることがすべてです。それをより良い仕上がりにするために、“手間”を惜しまずつくっていきたいですね」

 その手間とは、例えば索引を設けたり脚注を加えたりといった、ディテールを詰める地道な作業。しかしその手間こそが、正確で使いやすい“特別な一冊”を生み出します。「社史や記念誌は、普段から頻繁に読まれるものではないかもしれません。しかし、いつか誰かが手に取ったときのために、手間をかけることは必ず意義があると思います」と語る垂水。歴史という過去を編みながらも、視線は常に、その先にある未来へと向けられていました。

      

PRODUCT INFORMATION

神戸商船三井ビル竣工100周年記念誌「青い海と100年」
株式会社商船三井
記念誌/2022年

ディレクション:垂水裕子

STAFF’S COMMENTS

ディレクター 垂水裕子

年史の仕事はお客さまとの出会いです。今回はすぐれた対象と、センス溢れる担当者さまに出会い、美しい記念誌に仕上がりました。歴史的建造物である「神戸商船三井ビル」竣工100周年記念誌制作の話があると聞き、すぐにイメージが膨らみました。意匠や様式、変遷を伝えるため、歴史・現況の写真を中心とするのは当然ですが、建設の背景や、会社と建物が担ってきた役割等を丁寧に描くことで、より意義深いものとなったと思います。